日本では忠犬・名犬と言うと「忠犬ハチ公」が挙げられますが、ハチ公以外にも偉大な偉業を成し遂げた名犬や、主人を命がけで守った名犬達が世界中に存在します。そんな名犬達の素晴らしい偉業をご紹介、今回は盲導犬「サーブ」に注目していきたいと思います。

スポンサーリンク

盲導犬「サーブ」

日本では忠犬ハチ公も有名ですが、盲導犬の「サーブ」も有名な忠犬。名前は聞いたことあるけど・・という方も多いのではないでしょうか。

盲導犬サーブは、1977年4月8日生まれのジャーマンシェパードで、名古屋市の中部盲導犬協会で訓練を受けた後、岐阜県に住む亀山さんとパートナーを組み、亀山さんの目となりました。後に、サーブは日本で最も有名な盲導犬の1頭として知られるようになり、更には法律をも改正させるという偉業を成し遂げた、日本を代表する盲導犬となるのです。

そんなサーブの偉業は、突然の事故から始まるのでした。

突如として訪れた悲劇

亀山さんとパートナーを組んだ2年後の1982年1月、突如として悲劇が襲います。岐阜県の国道を歩いている途中、雪道でスリップを起こした車が亀山さん達へと突っ込んできたのです。更に、この当時は国道にガードレールもなかったため、事故に巻き込まれて命を落としてもおかしくはなかった状況でした。

しかし、奇跡的にも亀山さんは軽症で済んだのです。サーブは瞬時に亀山さんを引っ張り、身を挺して守っていたのです。亀山さん共々、亡くなってもおかしくはないこの状況の中、サーブは身を挺して主人の命を守り抜いたのです。ただし、その代償は大きなものでした。サーブは左前足に重症を負い、切断を余儀なくされたのです。

そして、この事故でサーブは盲導犬として活躍することが出来なくなりました。しかし、サーブは亀山さんの命を救っただけでなく、大きな功績を残すこととなるのです。

時代と不完全な法整備

亀山さんとサーブを襲った事故によって、サーブは大怪我を負ってしまいましたが、当時は盲導犬の認知度もまだまだ低く、多くの人にはまだ理解されているものではありませんでした。さらに、「盲導犬」という認知の低さや関心は、国の法律に関しても同じだったのです。

このように、亀山さんとサーブが事故に見舞われた当時は、盲導犬に対しての法律も整っていなかったため、いくらサーブが命がけで主人を守っていても、大怪我を負ったサーブに対しての保険金や治療費が支払われることはありませんでした。

スポンサードリンク

サーブの功績は、やがて国をも巻き込む事に

しかし、サーブの行動はその後、大きな声へと変わっていくこととなります。サーブが主人の命を救ったという功績は、次第に話題を呼び、事故後の翌年となる1983年には「がんばれ!盲導犬サーブ」が出版されることに。この書籍がきっかけとなり、瞬く間にサーブの功績が世に知られるようになりました。

こうした反響の中、多くの市民が盲導犬の重大さや、サーブの取った行動の素晴らしさを知ることとなるのでした。さらに、反響は市民だけにとどまらず、国の盲導犬に対しての認識や法整備も急速に改善されていくこととなります。

国会でもサーブの事故や功績が取り上げられ、ついには「盲導犬は視覚障害者の身体の一部」であるという認識が認められ、盲導犬にも自賠責保険が支払われるという法律が改正されたのです。そして、「国道への歩道の設置」も全国的に進められていきました。サーブの取った勇敢な行動や功績が、法律をも変える事になったのです。

サーブの功績はアメリカまでも

サーブの功績は国内だけにとどまりませんでした。1985年、アメリカのテキサス州知事から亀山さんとサーブの両名が招待を受け、サーブは「テキサス名誉州犬」の称号を与えられました。また、同年9月には中曽根元総理大臣から功労賞が授与されたのです。

翌年の1986年には、サーブの功績や交通安全の願いが込められた銅像が、名古屋駅前(当時)に建てられました。JRセントラルタワーズの建設に伴い、現在は久屋大通公園(地下鉄栄駅 14番出口横)へと銅像が移されています。

盲導犬サーブが残した偉大な功績

サーブは盲導犬として活動することは事故以降はありませんでしたが、その後は盲導犬の普及活動に携わり、多くの人々に盲導犬の存在や大切さを伝えていきました。1988年6月13日、老衰のため11歳でこの世を去ったサーブ。現在、サーブは名古屋市南区の長楽寺動物霊園で眠っています。

サーブが亡くなった後、同年12月にはNHKでTVアニメとしてサーブの話が放映、翌年7月には民法テレビ局でサーブの物語がテレビドラマとして放映、2007年には民法テレビ局の番組内でも取り上げられることに。そして、サーブの銅像は久屋大通公園以外にも、岐阜県郡上市の「健康福祉センターさつき苑」と、名古屋市港区の「盲導犬総合訓練センター」の2箇所にも建てられています。

日本でまだまだ盲導犬の存在が薄かった当時、サーブが残した功績は、当時から今もなお語り継がれる素晴らしい行動でもあり、国をも動かす大きな物であったのです。名古屋市や岐阜県郡上市に立ち寄った際は、ぜひサーブの銅像に会いに行ってみて下さいね。

スポンサーリンク